【小松山和良 大きめの独り言】俺のルーツ的、教育理念

謝罪からのスタート

今日は育成の話なので、僕の成長を振り返ってみたいと思います。まずは小学生の頃から。

昨年のリクエスト企画も2テーマが終わり、
あと1テーマにいこうかと思っておりました。


がしかし、どうしても資料収集など間に合わない!!

だからね、それは来週!!
ごめんね、Mちゃん!!
なので、代わりに『育成』について少し話していこうかと。

クレームきそうだけど書く。

中学生の頃。ジェネシスというバンドを組んでボーカルやってました。


私は物心ついたころには塾に行っておりました。
もっと言うと4歳から行き始め、18歳まで通いました。
大学に入り卒業までの4年間、塾講師のバイトをしました。
となると、ざっとみても18年間は塾にいました。


勉強が好きだと感じたことはありません。
ただ得意かもと感じたことは少しだけあります。

18年と言いましたが、転校などもありいくつかの塾を渡り歩きました。
「教えられる」側の14年間と「教える」側の4年間を通して、自分の教育理念のようなものが生まれました。

一言で申し上げると

きょうせいきょうよう

です。

教育関係者の皆さまや、親御さんたちからすれば
大反対をくらうようなことかもしれません。
まぁ、大きめの独り言だと思って大目に見てください。

 

まぁまぁ、怒る前に聞いてよ

中学生の僕と、母。厳しかったなー。

『きょうせい』とは、
「強制」「矯正」「共生」です。
そして『きょうよう』とは、
「強要」「教養」です。

勉強って大人になってからは金出してでもしたいことがありますね。
ただ、子供のときは遊びたいって気持ちのほうが強かったです。

うちの母は、私と同様で明るくおしゃべりで自由な人です。
一見、勉強なんて無理矢理するもんじゃないといいそうな母親です。

高校生の頃。今よりシュッとしてますね。

実態は全くの逆で超がつくほどの教育ママでした。
母はよく言っていました。

「笑われるのではなく、笑わせる人になりなさい。」と。

いつもふざけていて勉強もできなかったらただの馬鹿だとも言っていました。
だから、4歳から塾に通わせ、家でも付きっきりで私に勉強をさせました。

母親に勉強を「強制」的に「強要」されたのは小学校を卒業するまでの8年間でした。

中学に入ると、転校をしたこともあり少しだけ自由さが増しました。
母親がつきっきりで勉強することもなくなりました。

この頃の服はスモールサイズのS。今はスペシャルサイズのS。

一般的にヤンキーと言われそうな友達もいました。
決して大人しいほうではなかったので、学校でも家でもよく叱られました。
しかし、塾には通っていましたしテスト前にはしっかりと勉強に励んでいました。


中学校での成績は良かったのです。

振り返ってみると中学時代に入学した塾が県内でも有数のスパルタ塾で、
その教育の仕方が幼少期から母としてきた勉強の仕方に一致していたことが功を奏したのかもしれません。

勉強をするということにある種の使命感を感じていました。
つまり、勉強をする体質に「矯正」されていました。

高校に入ると全くと言っていいほど勉強しませんでした。
しかし、しないとは言っても最低限はしていました。

うちの母が私に作り上げた「きょうせいきょうよう」の教育は私の今を大きく助けてくれています。
中学から通っていたスパルタ塾に、大学に入ってからは講師で入りました。

その時の教え子たちが今でも私とつながっていて、
今では仕事の話をするような関係になっています。

What is きょうせいきょうよう ?

愛車と大学生の僕。

では、先ほどから出てきている「きょうせいきょうよう」とは何か話していきます。

「きょうせいきょうよう」とは、
勉強が習慣化、もしくは「やってよかった」と思えるまでは
「強制強要」します。

「やる気をひきだして〜」とか
「楽しく勉強を〜」とか
そんなの関係ありません。

とにかくさせるんです。
ポイントは徹底的に管理しながらです。
さぼらせない。できるようになるまで何度でも。

大学祭のエアギターコンテストで優勝したときの僕。

「なんで算数しないといけないの?」とか
「こんなことして大人になって使うの?」とか
聞かれたとしても

「つべこべ言わずやりなさい」と一喝。

私、柔道をしていたことがあるのですが、
初めに習うのって「受け身」なんです。
何度も、何度も受け身をさせられます。
全然楽しくないです。

でんぐり返ししてバチーンみたいな受け身を
ひたすらするわけです。

「投げられたときに怪我をしないように」
と言われてもこんなんでんぐり返しの発展版くらいで
かわるもんかと思ってしまいます。

しかし、いざ受け身が身につくと、
投げられたときに自然に受け身がとれます。
普通に転んだときでも受け身とってます。

そのときにやっと「受け身の意味」を知るのです。

大学4年生の頃。急に醸し出される指名手配感。

実は教育には時間が限られています。
小学校の時、中学校の時、高校の時に、
学んでおいたほうがいいことがあるわけです。
その大切さを知ってから学ぶでは遅いときがあるのです。

勉強の意味とか、楽しさとかよく分からなくても
「強制強要」を続けていくと
結果が出ます。

いい結果であればひたすら褒めます。
だめな結果であれば励まします。

そして、また「強制強要」します。

すると段々、「矯正」されてきます。
勉強する習慣が身につきます。
やりがいを感じたりします。
プライドも出てきます。

勉強に対して体が合っていくのです。
これを続けていくと「教養」がつきます。

これで「きょうせいきょうよう」の本当の達成です。

 

勝手には育たない

社会人なりたての僕と同僚。だいぶ今に近いですね。

そして、いちばん大事なことは「共生」です。
「勉強しろ」というだけではだめです。
一緒に取り組むことです。

「共生」こそがこの教育理念の真髄だと思います。

私の母はたくさんの時間を私の勉強にさいてくれました。

「共生教養」です。

これは子供にかぎった話ではありません。
社員教育も同じことだと思います。
勝手に社員は育ちません。

「なんであいつは勉強しないんだ」
「資格支援制度があっても活用せん」
「研修には行かせてるはずだ」
「何度言えば分かるんだ」
「教えたっちゃからやっとけよ」

違いますよ。ちゃんと見てあげてください。
そばについて、ちゃんとやっているか見ててあげてください。

10年あれば人は劇的に成長するもんですね。次の10年も楽しみだ。

正しい「きょうせいきょうよう」
もしかしたら、伸び悩んでいる社員の成長を助けてくれるかもしれません。

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