【はたらくを考える】最期の時間を支える仕事・後編

前回のおさらい

連休だったので1週空いてしまいました。みなさま、お休みいかがお過ごしでしたか?

在宅ホスピスで働くRさん。
1人の患者に対する平均訪問期間は1ヶ月。
そんな死を目の前にした方々の最期を支える仕事をしている彼女の仕事について、今回も聞いていきます。

ー 病院と訪問どちらも経験した上で「自分は訪問が合ってるね」と言っていたけれど、どうして訪問が合ってると思うの?

「言葉を選ぶのが難しいけれど、病院だとどうしても上下関係ができてしまうというか。
病院という特別な場所にいるわけだから、それを仕切っている医者や看護士が言うことは絶対!みたいな上下関係が患者さんの中にできちゃうんだよ。
患者さんの意志を尊重したいと思っているのに、上下ができると本音を言ってもらえなくなる。それが何か嫌で。
在宅だと、「おじゃましまーす」ってお家の中に入れてもらって、患者さんの生活や人生を感じて接することができるから。患者さんの日常に私たちがちょこっと入っていくことで、病院よりはリラックスして話をしてくれるから上下関係ができにくいの。
そうやって同じ目線になれるから支える家族ともチームみたいになれる。
実際に問題が発生した時、家族の方から出たアイデアが目から鱗で即採用!ということもあったの。医療従事者という目線だから気付けることもあるけれど、気づけないこともある。そういったことに気付けるのも病院とは違うところだね。」

仕事に対する想いとは

ー 話を聞いていると、患者さんも家族もみんなのことを考えて看護するからすごくしんどい仕事のように感じるのだけれど、仕事を続けられているのは何故だと思う?

「“死を認めてその時が来るまでどう生きるのか、その生きる時間を支える”という院長の志に共感していることが大きな理由だよね。
治療という選択肢がなくなったから、希望も喜びもなくなってしまうというわけじゃない。家族や大切な人と過ごす時間の中に喜びがあるだろうし、喜びを感じられるように本人の痛みを取り除くための投薬をする。治す医療にはできないことがここにはあるんだよね。
病院では、24時間家族が付き添えるところってあんまりなくて、患者さんの容態が急変した時に家族にこちらから「危ないので病院に来てください」って連絡して来てもらうことが多くあって、臨終に家族が間に合わない、看取るのは看護士や医者ってこともあるわけ。
でも、在宅だと逆で。家族やお友達から「今息を引き取りました」と連絡があって、私たちが駆けつけることの方が多いくらい。
痛みがなくおだやかに、大切な人達だけでお別れする時間が持てたと家族の方から教えてもらえた時に、支えられてよかったと思うよ。」

支える仕事を支えてくれるもの

24時間体制で看護は行います。夜の呼び出しはいつまで経っても慣れないそう。

ー でもさ「もう無理!」って投げ出したくなったりしないの

「なるよ笑。日々いろんな事が起きるし、何が正解かわからないし、むしろ正解なんてないんじゃないか?っていうループにすぐ入るよ。
頭も心も一杯になって、明日患者さんに向き合えないかもしれない…って思うくらいよ。
不思議なんだけど、そういう時に限って前に担当した患者さんの家族から手紙が来たり、会いに来てくれたりするんだよね。以前の患者さんともいろんな事があったよねーって思い出すことで、今も色々あるけれどなんとかなる!なんとかする!っていう前向きな気持ちになれる。」

― 遺族の方から手紙来るんだ!ちょっとびっくりした。

「私たちも書くよ。1周忌を迎えた家族の方々にはお手紙を出して、患者さんの思い出を語る場を設けているの。家族にとって大切な人がいなくなることは、簡単に受け止められるものじゃないからね。他にも、私たちの理念に共感してくれるボランティアさんの協力で患者さんや家族が毎週集えるサロンを開いてる。」

― 患者さんや家族のために開いている場だけど、自分が励まされる場にもなっていると。

「そうだね。良い最期がむかえられて良かった、あなたがいてくれて良かったと言ってもらえることで励まされるよね。でも、時間が経つごとに悲しみが深くなっている方もいて、たまらなくなる時もある。家族のみなさんって私にとって短い時間だけど、一緒に真剣に死と向き合ったチームメイトというか。チームメイトが悲しんでいるのに、何も出来ない自分の無力さをひしひしと感じる。」

最期と向き合うために必要なもの

看護に必要な手。撮らせてもらおうと思いましたが、親指がおかしなことなってた。

― 仕事だとしても簡単に割り切れないか

「実はそれが私の課題。本当は、気持ちの切り替えをしっかりしないといけないの。これまで自分は切り替え上手い方だと思っていたのに、ヘタクソだって気づいた。仕事で泣くことってほぼなかったんだけど、この職場に来てから泣くことが多くて。もちろん家族の前では泣かないよ。もっと何かできたんじゃないのかという思いと、自分の無力さと、家族の想いを一緒に抱えてしまって泣いてしまうのよねー。切替られないと潰れるよー!って怒られることが多いわ笑」

― そっかー。性格的に向いている人と向いてない人がいそうな仕事ね。

「そうかもしれないね。けど、自分がやってみて「病気」を看ることじゃなくて「患者である一人の人間とその人生」を看ることがいかに大切なことかがわかったの。
大学生の時にナイチンゲールの看護論とか授業でやっていて「ハイハイ、そんなんナイチンゲールしかできませんよー」なんて冷めた態度で聞いていたんだけど、今は「いや、ホントわかるわー」って気持ちよ。
医療が限界を迎えた時に、看護が非常に大事になるんだと思う。目と手の力を侮ってはいけないぞと。
治す医療ではない人生の最期を生きるための医療をもっと知ってほしいなと思うから、向いてないかもって尻込みするんじゃなくて挑戦してもらいたいとは思うかな。
高齢化が進んでベッド不足が深刻になってきているから、訪問の重要性はこれからも高まっていくだろうし、経験して欲しい。」

― これからの目標というか、やりたいことなどありますか?

「あはは。毎日一生懸命すぎて、あんまり考えたことないや。
でも、自分の最期はどうありたいかとか、自分にとっての幸せとは何かということを患者さんたちと向き合う中で日々考えさせられる。
幸せの定義って人それぞれで、家族に囲まれて最期を迎えることが幸せって人もいるし、家族よりも気の合う友達と最期の時間を過ごしたい人もいる。
私も、自分にとっての幸せを見つけて、良い最期を迎えられる人生を歩みたいなとは思うかな。」

死ぬときぐらい好きにさせてよ

以前、樹木希林さんが出ていた宝島社の広告でこんなキャッチコピーがありました。

死ぬときぐらい好きにさせてよ

いかに死ぬかを考えることは、いかに生きるかを考えることと同じくらい大切なこと。
そして本人の求める「いかに死ぬか」を尊重するために彼女の仕事はあるんだなと思いました。

インタビューの中で、何度も出てきたキーワード。

「死を認める」

生きている人は、全員いつかは死んでしまう。
「死」そのものは特別なことではない。
だからこそ、その人の望む最期を迎えてほしい。
迎えられるよう、支援したい。

彼女が「はたらく」中で叶えたいこと。
一筋縄では行かないけれど、その想いが彼女の「はたらく」を支えていました。

初回から重い「はたらくをかんがえる」インタビューでしたが、はたらくことだけでなく死生観も考えさせられるものとなりました。
ではまた次回

後記

インタビューの中で頭に浮かんだのは母のことでした。

私たちの母は、祖父(母にとっては義父)が脳梗塞で倒れて、植物状態になってから6年間、在宅で介護をしていました。父の兄弟は県外に住んでいたので、母が中心となり会話も出来ずアイコンタクトもできない祖父を介護し続ける毎日。自営の仕事もしながら介護をする母は「奮闘」という文字通り、まさに闘っていました。

祖父が亡くなった時、終わりの見えなかった日々にピリオドが打たれ、母はやりきった思いだろうなと思っていました。しかし母は「もっとやってあげられることがあったのにごめんね」と言いながら誰よりも号泣していたのでした。
大学生だった私は「いやいや、何言ってんの?あなた自分のことも顧みず6年介護して、それ以上何が出来たのよ。十分でしょ?」なんて思っていて、母がそこまで嗚咽する理由がわかりませんでした。

今ならわかります。

母は介護を必死でやったからこそ、そう思ったのだなと。
手や心を尽くした人だから気付ける自分の無力さと、まだできるという可能性。
やっていなかったから、外側から見ていただけだった私には分からなかったのだなと。

そして介護に仕事に奮闘する母の姿を見て育った妹は、終末期を支える仕事をしている。
妹にインタビューをする中で、特別何かを教えてもらった記憶はないけれど、母の姿から学んだことは時が経って自分たちの中に息づいているんだと気づきました。

仕事に家事に育児に奮闘しているみなさん!
今は十分にしてあげられてないって悩むこともあるかもしれませんが、
きっと頑張る姿を見て、子どもが勝手に学んでいることありますよ!!
だからあんまり落ち込んだりしないでー

と伝えたい気持ちでいっぱい。
まずは帰省した時に、母に「あなたの子育て大成功だぜ!」と伝えたいと思います。

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で
 

新卒採用をはじめるならディーレクトにご相談ください

新卒採用に踏み出せない人事担当者の方、 そのお悩み、ディーレクトが解決します!