書くたびにご無沙汰していると書いている気がしますね。
コラムのことを忘れた日はありません小松山です。

これが新しく撮影したプロフィール写真です。プロが撮るとすっきり見えますね。
コラムを書いていない間にも、弊社では新しいスタッフが増え、増えたかと思えば減り、新しい事業をスタートしたり、しなかったり、色々なことが起きています。
今このタイミングで宣伝したいことを気持ち大きめのボリュームで言わせていただきます。
(音量は皆様の脳内変換におまかせしますが大きめでお願いします)
職業紹介事業を今年から始めました!!
ので、企業の皆様ぜひ一度お話させてください!!
あ!求職者の皆さん!転職したい皆さん!!
ぜひ一度お話聞かせてください!!
(7月からスタートしておりました)

コラムを書いていない間、社会も大きく変化しましたね。
コロナ禍では様々な「当たり前」が「非日常」になりました。
人材業界にもその波はやってきて、弊社もあくせくしながらもかろうじて息をしております笑
とはいえ、そんなことを言い訳にすることはできませんので、今日も企業と人のいい出会いをつくるお仕事を頑張らせていただいてます!!
コロナのように自分の力だけではどうすることもできないことってありますよね。
そんなものの1つに「流れ」というものがあるかと思います。
良いことも悪いことも順序よく交互にやってきてくれたらいいのに。
いや、そしたら良いことがあっても次にやってくる悪いことが気になって素直に喜べなくなりますね笑
実際はそんな都合のいいことはなく、いつ何が起きるかを完全に予測することはできませんし、備えても備えてなくても良いこと、悪いことは起きるものです。
ただ、良いことが続くこともあれば、
逆に悪いことが続くこともありますよね。
するとこれは「流れ」なのか!?と思ってしまうのです。
麻雀などギャンブルをする人は特にこの「流れ」みたいな話がでがちです。

これが小松山が最後にあがった役満です
実際に私も麻雀はしますが、何もスキルは変わっていなくても勝てるときもあれば勝てないときもある。
すると、「いやぁ、今日は流れがきてたわー!」とか「完全に流れは向こうさんやったな…」なんて思うことも。
サイコロを5回振って、全部偶数のときも全部奇数のときもあれば、3対2、4対1になることもあるようにそこには確率だけでは捉えられない何かが存在し、それを科学的に証明することができない以上、我々はそれに「流れ」とか「運」なんて名前をつけたわけです。
それはギャンブルだけの話ではありません。
仕事でもその「流れ」を感じることはよくあります。
めちゃくちゃ頑張って営業していてもアポの1つも取れないとき。
特に営業かけてなかったお客様たちから問い合わせが相次ぐとき。
色んなところに求人出したけど応募がないとき。
募集していなくても欲しかったボジションの人間が向こうからやってくるとき。
あげだしたらキリがないほどに、実力や実態とは別の結果が起きることがあるように感じますよね。
でもね、これって「流れ」ってことにしておけば丸く収まるからなんじゃないかなってふと思ったわけです。
営業かけまくってもアポの1つも取れないのは、
電話のかけ先やかけた内容に問題はなかったのか、
頻度が相手にとって適切なのか、
話し方はどうだったのか、
時間や日にちに問題はなかったのか
つまり、全く理由が思い当たらないわけじゃないんですよね笑
もっと言えば、完全に運に思えるような麻雀にだって振り込んでしまう理由や仕掛けはあるのです。
(最近プロリーグの試合を良く観ているもので…笑)
これとこれを切ったから、これを誘われたとか。
本当は危ないと思っていたけど突っ込んでしまったとか。
理由はあるんです。
だからこそ、大変な事が起きたときでも理由から目を逸らさなければそれは「流れ」ではなく「原因」として対策が取れますし、今後の「予防」ができるじゃないですか。
悪いことが続くなって感じるときは、起きたことに囚われすぎて冷静に物事と向き合えていないから視野が狭くなったその死角でトラブルが起きてしまっているかもしれません。
そして、大事なことこそ運任せにしないこと。
「流れ」ではなく間違っているかもしれなくても「根拠」をもって言動をすること。
たまたまなんてことは、たまに起こるからたまたまなんです。
ギャンブルで負けたときは運が悪かったから負けるんじゃないです。
ギャンブルしたから負けたんです笑
それを言ったらギャンブルしなかったら勝ちもないじゃないかと言われそうですが、勝っても負けても笑い飛ばせる範囲でやるのがギャンブル。
笑えない領域でやるのは暴挙です。
仕事はギャンブルではないですから、一か八かなんて考え自体が大間違い。
「なぜ」を繰り返し、頭を使い、根拠や目的をもって行動し、話をする。
シンプルなことなんですが、全てをそうすることは難儀なんです。
言ってる私も分かっちゃいるけど、なかなか全てをそうすることはできない。
望外のホームランに喜び、備えていなかったトラブルに頭を抱えるものです。
ただ、大人になって経営者になって色んな経験をして知識を学び、その曖昧さをきちんと定義づけしていくことの大切さに触れ、やっと向き合えるようになってきたんです。
どんなことが起きても、漠然とした不安から明確な課題に変換し、一つずつクリアにしていけば時間はかかっても前には進むということを私は信じるようになりました。
自分は至らない人間かもしれません。
でも、その至らなさを知り成長できる人間でいたい。
久々のコラムから重たい内容になってしまったかもしれませんが、これを書き始めて15分くらいでばーっとここまで言葉が出てきたのできっと自分に必要なことだったのでしょう。
これさえも「流れ」ではなく。
「流れ」は身を委ねるものではなく、自らつくるものってお話でした。